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伝説のチームMAPEIで活躍した阿部良之氏の紹介ページです。

阿部良之(あべよしゆき)
1969年生まれ大阪府出身
92年から2009年までシマノに在籍。96、97年と2001年にはヨーロッパプロチームでも走った。日本選手権個人ロードおよび個人タイムトライアル、アジア選手権個人ロード、個人タイムトライアル優勝経験者。2000年シドニーオリンピック代表。

主な戦績
1995年:フィリピン選手権、ロード、エリート部門、オロンガポ、フィリピン 1位
1996年:ポーランド、ツール・ド・ポローニュ第6ステージ、オポーレ 1位
1997年:日本選手権、ロード、エリート部門、日本 1位
1997年:ジャパンカップ、日本 1位
1999年:日本選手権、ロード、エリート部門、個人タイムトライアル 1位
1999年:ツールド北海道 総合2位
2000年:日本選手権、ロード、エリート部門 1位
2001年:日本選手権、ロード、エリート部門、個人タイムトライアル 2位
2003年:中国、ツアー・オブ・チャイナ第2ステージ、リュウリミャオ 2位
2003年:中国、ツアー・オブ・チャイナ 総合1位
2004年:日本選手権、ロード、エリート部門、静岡県伊豆市 9位
2004年:日本選手権、ロード、エリート部門、個人タイムトライアル 2位
2006年:中国、ツアー・オブ・ハイナン第2ステージ、シンロン 3位
2006年:中国、ツアー・オブ・ハイナン 総合3位
2006年:カタール、アジア競技大会、ロード、チームタイムトライアル 3位
2010年:日本選手権、ロード、エリート部門、広島県三原市 30位

92年はオリンピック(アトランタ)イヤー
群馬で行われた全日本選手権は群馬サイクルスポーツセンターで180キロの距離で開催された。シマノレーシングチームとして初参加した全日本選手権は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった当時のエース今中大介氏が大本命と目されながらアシストメンバーとして参加。

93年は春から渡欧。フランスを拠点に3月から約4ヶ月間イタリアやアイルランドのレースを含めて転戦した。当時は単独チーム参加は夢のまた夢であり、単身経験を積むために渡欧している選手が集まってナショナルチームを編成してレースに参加していた。

イタリアのジロデルレジオーニ、GP(グランプレミオ)・リベラツィオーネなど今でもアマチュアやアンダー23のプロチームへの登竜門として有名なレースや、アイルランドのミルク・ラス(ミルク・レース)といったレースへチームの垣根を越えた参戦をしていました。当時でも日本の精鋭はやはり単独での走行能力は他国の選手に比べると低かったが、持久力の面では他を凌駕している面があった。当時ヨーロッパに渡り単身活動していた選手は大門宏氏(現ニッポチーム監督)、鳥屋尾圭司氏、橋川健氏(現チームユーラシア監督)など

94年は広島でアジア大会が開催される年でもあったので国内での活動へ。
団体種目となる100キロチームタイムトライアルの同大会での日本チームは残念ながらメダルを逃した。

95年以降は軸足をロードレースに移し、ナショナルチームでの活動がメインとなった。オリンピックが以降の活動のキーになるという意見から、ナショナルチームでオリンピックの出場枠を取りに行こう!と様々なチームから選手が集まった。清野慶大氏、柿木氏、飯島誠氏などなど。その後の日本の自転車競技会を担う若者たちが集い、同じ釜の飯を食いながらイタリア、スイス、オーストリアなどを転戦した。

同年のアジア選手権(フィリピン・オロンガポ)では優勝を含めオリンピック枠を2つ取った。しかし、同年の世界選手権で世界のトップ25に入れなかったためフル参加となる4名の枠は取れなかった。

96年はオリンピックイヤーだがその後5年の活動を見越して当時のシマノレーシングチーム相談役の前監督岡島氏からヨーロッパのプロチームへの入団を勧められて単身パナリアービナビルチームへ。イタリア人中心ながらチーム規模は中型で、その後ジロ・デ・イタリアで優勝するパヴェル・トンコフ(ロシア)を代表にパオロ・ランフランキやジャンニ・ファレジンなどそうそうたるメンバーが顔を並べるチームだ。しかしながら不況が押し寄せるヨーロッパロードレース界はチームの再編などが非常に活発で、このチームも1年でベルギーのMAPEIチームと統合し当時最強と謳われた。

MAPEIチームはベルギー、イタリア、スイス、ポーランド、スペインなど当時ではまれに見る多国籍チームであり、近年のチーム運営の礎となった。ヨハン・ムセウ、ジャンニ・ブーニョ、フランク・バンデンブルック、オスカー・カメンツィン、フランコ・バレリーニ、アンドレア・タフィなど。全てのメンバーがスター選手と言っても過言ではない布陣だ。そのチームに所属することでレースへの参加数は飛躍的に増え前年以上の良い経験を積むことができた。最終戦となるジャパンカップを優勝で飾り、阿部氏の選手生活のピークはこの年となった。

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